詩・詩的散文

戦火の切れ端(2)小品

僕らの隊がその村を横切った時、ある村人はまだいたいけな息子を僕たちにあずけようとしました。砲撃のとどろく音もじきにまぢかに迫ると思い、無学な彼はここよりも兵隊のそばに居させたほうが安全と考えたのです。彼はどうやら少し見落としていました。息…

戦火の切れ端(1)小品

ふいの驟雨(しゅうう)と誤解したのは間合いのずれのようなもののためです。爆撃のあってから、それは恐らく二十秒も経ってからパラパラと空から落ちてきたのでした。人の死ぬのに馴れ過ぎて失くしたものもあることでしょう。実際僕はおののくよりも、ホッ…

谺(こだま)詩

星と星との織り成したそれは奇跡であったろう 太陽を月の隠したつかのまの白昼の夜 たぶん数十年にいちど訪(おとな)う稀少価値の十数分間がある そこに彼女の悪夢はいまも忘られもせず息をひそめて蹲っているという 忘られもせず それも彼女の遺された足跡…

理性の眠りは怪物を育む(詩)

余りにも澄んで真澄の 歩みを止めた真空パックの現実である。 夏 それも真夏の好天の日の午前六時かその辺り 汀(みぎわ)には清新なつめたく触れる瞬間だけがある 大地は赤茶けた有史以前の孤独な大地 そして時計は 金の目覚まし時計はテーブルの上で蕾のよ…

南(詩)

みずからに逆らうことをやめ流れのままに混乱している。思うに、それは彼女を孤独にもしただろう。誰も彼女を知らなかったが、誰一人それに気づきはしないほど、そこには嘘が欠け落ちていたのだ。その場しのぎの真実がいつもそこには残り香として残されてい…

龍宮之遣(りゅうぐうのつかい)詩

光なく音もなくそこは余りに深くて無限大である 割れた古鏡がある ロココ趣味の着飾ったもので遠い時代のたぶん遺失物と想われる 深淵を映して見つめ 割れて破れたその面(おもて)にも内的な沈黙がある そこにほのめくように過って 奇っ怪にして神威をやど…

少女(詩)

雷鳴と凄惨な雨にみだれる気狂いじみた東京である マンションの屋上で落雷を待つ人がある。 セーラー服と黒髪の無論彼女はうら若すぎる 顔のにきびの凹凸(おうとつ)を滅茶苦茶に乱れた体(てい)が純化して 美しく純粋化して凛凛(りんりん)と鳴りひびく…

鈴(詩)

砂はほとんど粉ともいえるきめ細やかなサハラ砂漠の砂である その赤茶けた熱砂の砂が硝子の筒のくびれを落ちる 湖畔の家は音もなく燃え 遠くの火事の赤らむものをただ見るように 音もなく叫びもなしに静かに燃えて燃えさかる 砂時計の砂はつかい果たせぬ終わ…

なみだ(詩)

すべて部屋にはその部屋の硬度をしめす琴線がある 氷点の張りつめた締まったものも弛緩しきった半笑いのものもある その部屋の情調は午後 陽ざしのつくる明暗が夕べ近くの午後を孕んで疲労感の陰りある情調を織り成していたが 琴線は弛まずに硝子を含むもの…

エデンの東(散文詩)

大地の呑んだ血の贖いは永遠の追放である。だがそれは何からの追放だろう? 楽園を追われた者は彼でなく彼の罪なき両親である。しかし確かに彼は追放されたのだ。彼の追われた土地の名はノドの地というらしい。だがその名よりその土地の位置関係をあらわす言…

BOYS(散文詩)

スパイに憧れる人はスパイとはすなわち汚れ仕事であるということ、自らの手と良心を犠牲に捧げしかも見返りの余りにも乏しい報われない仕事であると知らない。 求められるものはまず何よりも信念に殉ずること、自分の信ずるもののため自分を搾取されることを…

歴史(詩)

白っぽい色褪せたものの蝕む師走(しわす)の朝の早いころ早い時間の街である 家と家族の街なので宅配の自転車の停まる姿もまだ滅んではない お誂え向きなのは坂 新聞かヤクルトの自転車のゆく画にはなる坂道がある。 その老人の黒い姿は燻(くす)んで見え…

鼓動(詩)

期待はずれの雷鳴が稲光から随分と遅刻してやっと響いた もっと烈しいものを期待していたのだ もっと凄みと重量感を孕んだ心おびやかすものを 幼児の頃に識っていたいじらしい畏怖の心を慕う 珠玉とは凛とした真珠のことだ 失われた純真は戸棚の奥に忘れた鼓…

美(詩)

ナルシスが水を見ている。 しののめのほの赤い色の開花する若い時刻にナルシスが水を見ている 東の森の水の面(おもて)の水鏡 ひすい色した泉の水に映った顔と心とを見る。 嗚呼 美の体臭はきめ細やかな密な香りで匂やかな果実の汗を匂わせる 何という不幸…

ひまわりの種(詩)

依頼は依頼主の忘れた傷を見つけることである 探偵はまず始めにこう聞いた 「星座と干支」 女はそれに答えたが探偵は少し意外げな顔をした 水瓶座ではなかったからだ 青いドレスの女で髪に簪(かんざし)のようにハイビスカスを差している やはり日焼けをし…

熱帯夜(詩)

夜ふけの路の曲がり角 思いがけない邂逅が心胆をおびやかしたが これも確かに真夏の夜のつかのまの乱れである 燐光の緑に光る二つの眼 肥った縞の野良である 熱くさい夜暗(よやみ)の闇にたちまち失せた。 ✳ 画像はフリー素材です。 おなじ内容を確かずっと…

鍵(詩)

夢遊病者の白い悪夢はどこかでドアと出くわしている。 眩いものに充たされたそこは彼女の夢想の小部屋。 何かしら赤がある。赤い小物か一冊の赤い本。 たぶんベッドもあるだろう。そこで眼ざめ、そしてそのことをすぐに忘れる。振り向けばベッドはそこに或い…

Blue(詩)

青少年。わけてもこの少年は青白く澄んでいる。 血汐(ちしお)の宿す凶暴な悪の因子になよやかな少女を孕む外観。その唇は赤かった。 赤かった。膚の白さがその色彩に適って白い。 青の色味は彼の匂わす漂わす眼には見えない気配であって、彼の立ち去ったあ…

恋のバカンス(詩)

巨大とはまあ言える球場規模の銀色の宇宙船も、 攻撃も握手もせずにそこに留まるだけならば、 いずれはただの景観の一部とはなる。 そこは日本の首都の外れでもはや首都とは言えない場所だ。 家と家族と公園がある、そんな場所。 たぶん故障か操縦士が死んだ…

猫(詩)

世界、これは御しがたい気まぐれな猫 飼いならすには甘言と鞭を要する気ままな猫だ 古来、統治者はおしなべてその両方を駆使したが この猫の懐くのは何故だかいつも最初の蜜月だけである あとはもっぱら不満げな倦怠期の色褪せた季節がつづき 別れの時はもは…

星月夜(ほしづきよ)詩

軽やかな音符のように星の降る春の星夜(せいや)に 丘の辺(へ)で星と語らう孤独な人がありました 星は可憐に瞬いて媚びの秋波(ながしめ)送るけど 夜の蒼みは薄衣と似て衣ずれの優しい肌衣(はだぎ) 冷えた温度が膚に爽(さや)けく オリーブの林はささ…

聖域(詩)

湖畔の街の森である ちいさな森で抜けるのに徒歩でも然して時間はかからない 道は寂しい 杉の木の群れの威容の足もとを心細く寂しく伸びる 途中に一つ奇異とも映るものがある いやに大きな赤い鳥居だ 神社はないが森の途中で鳥居を潜る 夏 湖の水がつくった…

叫び(詩)

夏、 水と火花の坩堝(るつぼ)の夏を壁と窓とで断って禁じてその部屋はしじまと影を内に囲っているのです。 キッチンにグラスが一つ、 水を充たして冷えている。 だが生活はここにない。 呼吸と声を喪って時計の針が過去のどこかで止まったままだ。 静寂と…

二つの星(メモ)

二つの星が衝突し二つとも滅んだならば滅ぼしたのは二つの星の互いを差し寄せる引力だろう。そんな関係もある。だけどもこれは哲学でない、もっと多感な青みを孕む麗しい清純派の感傷である。清純派の性を換えると半童貞になるから悲劇だ。 現在地と現時刻は…

生死を問わず(詩)

この女。 女には〝マリテス〟という呼び名があるが真に受けている者は少ない。かつて娼婦であったという噂があるが、これは何故だか何となく多くの者が真に受けている。 色褪せたレインコートは砂埃にまみれまぶされなおさら色が分からない。何色だろう? 無…

太陽の匂い(詩)

気凛(きりん)とは匂いのことであるらしい そこはかとなく立ち迷うそれはほのかな匂いと想う 白い項(うなじ)のほのめくように想い起こさす幻覚めいた微かな匂い 帰宅した時、衣服から確かに嗅いだように思える戸外の風と温度の匂い 窓辺で横たわる陽だま…

仔羊(こひつじ)の街(詩)

おれはおまえの罪状をひとことで要約できる 〝ひき返せる段階でひき返そうとしなかった〟 おまえには生涯つづく限りない奈落の時を 彼女の枕辺に青の造花を おまえには生涯つづく限りない奈落の時を 彼女のかたわらに花の心を おまえが負ける主な理由は 死ぬ…

TATOO《刺青》あり(詩)

役柄もさまざまだ 彼女は実におっとりとして声も身体も性格もやわらかな人である 傷は手首と背中にあった リストカットの左手首の幾えもの傷 禍々しい何か凄みを感じたものだ 筋彫りだけの鳳凰はその赤線の両の翼をいつもひろげていつも彼女を抱いている 彼…

事件(詩)

この人は職人さんです 質のよい箸置きを三十三年作って来ました 召集されて戦争に行き ついに武勲は立てなかったが 八歳の女の子を隊の仲間と輪姦(まわ)して殺した この人は そんな人です。 この人は会社勤めの月給取りです 二十五年まじめに勤め人事課の…

夢菩薩(ゆめぼさつ)詩

身籠ったのはいと妖しげな一片の幻影である 何時ぞやの暮れ方の緋色の刻に孕んだもので うら哀しい安普請(やすぶしん)の仮住まいの庭で孕んだ 先刻降った驟雨(しゅうう)の水が溜まっていたのである 覗けばそこにわたくしでなく別な景色が浮かんで見えた …