サンクチュアリ(詩)

信号が変わるのを待つ交差点での手持ち無沙汰な数分間、たまたまそこに居合わせた六人にはたぶん驚くべきことに六通りの別々な趣向の違う人生がある。

彼の人生をごく手短に語ろう。少し意外な運命だからそこに神秘があるはずだ。

1982年、吉澤寛二(よしざわかんじ)〇歳の時。父は**県議会の議員であったので、彼は生まれた時から政治家の息子であった。母は元議員秘書の新教徒、そのため彼は生まれた時からクリスチャンの息子であった。

1990年、吉澤寛二八歳の時。母・由美枝の飲酒癖はこの時期より始まる。

1993年、吉澤寛二十一歳の時。母・由美枝が首を吊って死ぬ。場所は自宅リビング、遺書はなく多量のアルコールを摂取していたことから泥酔状態での発作的衝動的な仕儀と思われた。第一発見者はその一人息子。

1996年、吉澤寛二十四歳の時。プロテスタント系列バプテスト教団の某教会にて受洗。

2000年、吉澤寛二十八歳の時。**大学に入学。プロテスタント教会に附属する大学である。彼は牧師となることを眼ざしていた。最も成績の優秀な生徒であったらしい。

2002年、吉澤寛二二十歳の時。父・辰也が心筋梗塞で死去。葬儀には多数の地元有力者が出席したが、その一人息子は出席せず。

同年十一月、吉澤寛二逮捕、容疑は殺人。晩秋の鈴のように冷たく澄んだ土曜の午後に、彼は或る一人の少女を出刃包丁で刺して殺したのだ。少女は十二歳、二人のあいだには肉体関係があった。供述によれば、「彼女が母の生まれ変わりだと分かったので殺した」という。明らかに精神鑑定の必要な案件である。だがさらに奇妙なことには、彼はこんな聞き捨てならない危うげな供述をしている。

彼は言った。「僕は母を二度殺した」

**県にある彼の育った悪運の家、そこの二階の窓からは、

眼下に湖が見えた。

 

 

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この話は小説にしたいんだよな…… と、ずっと前から言っている。

詩というより小説の序章のように見えますね、これは。この先に続く言葉とお話がある。これをなかなか書き出さないのは、たぶんこのお話を知りすぎたからです。温めすぎた。余り準備しないでさっさと書き出すほうが好きなんです、おれは。

フィクションでもノンフィクションでも同じだけど、おれの場合、完全にノンフィクションと言えるものは殆どないです。何故なら人の記憶力には限界があるから。想像力で補完しなければならない部分がある。だからノンフィクションでもフィクション。面倒臭いというか煩雑なのですよ、おれの作家性は(笑)自分の書くものに自信は持っています。どれも完璧ではないし書き飛ばしてる感じがあるのも確かだけど、やっつけ仕事なんか殆どしたことがない。