ガラスの鍵(詩)

わびしさの黴(か)びた匂いがほのかに匂うその部屋で、

このひとは華やぐものを放つので異物に映る。

部屋は八畳一間の朽ちかけたアパートの部屋。

彼女は高級素材の衣服とブランドもののバッグとに飾られた三十路の美人。

髪色はベージュだ。

なぜトレンチコートなのだろう?    彼は何故だかそう考えて、

それはこの部屋のせいだと結論づけた。

このひとがここへ来るなら、

後ろ暗さを匂わすようにサングラスをしていても良い。

しかし彼女はこの部屋を、

どこか懐かしそうに眺めたのだ。

「炬燵(こたつ)なんだ。そうだよね」

彼は煙草に火を点けた。

この青年も美形だが炬燵が彼を幾分庶民的にしている。

炬燵が彼の背中を丸め、

そのYシャツの胸もとにはだらしないという印象。

嵌められてないボタンは二つ。

「座りなよ」

「うん」

彼女は炬燵には入らずに

膝を品よく炬燵付近の畳につけた。

トレンチコートが幾分邪魔である。

彼は煙草を吸って潰した。

まだ長いのに灰皿の窪みを使ったのである。

彼が彼女を見た。

彼は彼女を見ていたが眼を合わせたのは今である。

彼が彼女を見た。

彼女は少しためらいがちに頷くような素振りを見せた。

ためらいがちにバッグから取り出したもの。

彼はそれを受け取る時にもういちど彼女を見、

キスをしたいとふいに思った。

 

鍵はガラスの鍵である。

赤と茶色のあいだの色の濁ったような色ガラスの鍵。

落としたら砕け散る鍵。

彼女が彼にあずけた。

 

 

※  画像はフリー素材です。

ガラスの鍵というのはダシール・ハメットの小説のタイトルです。ハメットでは赤い収穫が好きで、ガラスの鍵は読んだことがない。でも、イメージに合ったので使わせてもらいました。